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I'm only sleeping

日記 雑記 思いつき ついったー https://twitter.com/1dgwa

人的資本に対する投資は、不良債権となり得る

 人的資本への投資、もしくは自分への投資という時、人は殆どそれが儲かるものだと考えているフシがある。
少なくとも、何らかの利益が得られるはずだと。
しかし純然たる投資であれば、そこにはリスクが存在するわけだ。
金と時間を賭けたが、多大な借金を抱えるに至る可能性だって、金銭的な投資ならば存在する。
手に入れた資産が紙切れになってしまう可能性だってある。
だけど、人的資本への投資と言う時、人はそれをほぼ間違いなく利益が得られるものだと考えてしまう。
人的資本への投資に対する信仰は、教育に対する信仰と言っても良い。
それは学校に行き、学歴を積み重ね、知識を身につければ収入が高まるという考えだ。
これは明確には実証されていないようだ。相関関係はあるのだが、相関関係と因果関係は別物だ。そして専門教育みたいな期間が長く、バイアスの影響を排除できないものだと、収入との間に因果関係を見出すのは難しい。

 人的資本への投資を、文字通り投資と考えてみると、そこにリスクが存在しないのはおかしいとわかる。
有害な教育というのは存在する。学問をうまく消化出来ない人間もいる。
そもそもからしてデタラメであった骨相学のように咀嚼しようのない学問が存在する。
むしろ、食物と異なり、いつまでも頭に残っているが故に有害な可能性だってある。
教育というのは頭に入るから、一生残る資産だと言う人もいるが、一生残る負債にだってなり得るのだ。

ここでは、金銭的収入と学歴との関係に話を絞ろう。

それ以外の有益な面については、今回の話からは外す。

 リスクが存在する投資が、多くの人にリスクが存在しないと考えられている状況を、バブルという。
つまり、損をする可能性がそこそこある投資を、絶対に損はしない投資だと大勢の人が思い込むわけだ。
 バブル崩壊後、その資産の多くは大学教育に使われた。しかし大学教育の投資としての効用は、破綻していることが認識されつつあるように思う。
しかし様々な文章を読む限り、教育バブルの崩壊というふうに語られることは無いだ。

 僕が問題にしてるのは、何が損失を生み出す投資で、何が利益を生み出すという投資かという話ではない。
投資というアナロジーを使いながら、損失の可能性については語られなかったことを問題としている。

 大学教育の有用性を裏付ける2つの理論がある。一つは上記で述べた、人的投資としての教育だ。
そしてもう一つは、シグナリングだ。
シグナリングというのは、序列づけと言ってもいい。学歴によってその人の能力が市場で判定できるようになるということだ。
しかし、シグナリングのための学歴は高すぎる。シグナリングのためなら、センター試験の点数だけでいいはずなんだ。
高校生への就職面接でセンター試験の点数は使えないし、そもそも結果が開示されるのは、センター試験が終わった5ヶ月後くらいだ。
だけど、これをシグナルとして使うのは原理的には可能だ。勿論、高卒時点での学歴でシグナリングするという選択肢もある。
 しかし問題なのは、大学の教育期間は、シグナリングのためだけには長すぎるし、高すぎるということだ。

 教育は投資だろうか?人格の醸成や幅広い教養や専門知識を身につけるのも教育の重要な役割ではないか、と考える人もいるだろう。
勿論それらは重要な役割だが、投資としての役割が無用だと思われたならば、人の教育に対する支払いはもう少し渋くなった筈だ。
僕は教育によって損をすると言いたいわけではない。ときに損失を被る可能性があることを認識するべきだと言いたいのだ。