雑話
言葉が雑になっている。
ニュースに影響されて驚くほど陳腐な言葉を語る自分がいる。
いつの間にか主語がぼく”たち”になっている。
滅多に自分の文章を読み返さず、書きなおさない。
140文字は既に自動化されてしまった。その文字の中に言葉を収めることは、はじめはなかなかに難しいことだった。
今では造作もないことだ。慣れてしまったのだ。
文章を書くことは最初から難しかったわけじゃないけど、意味の通る文章を書くことは難しかった。なぜなら僕は意味以前の映像を頭にたっぷりと飼っていて、それを理解させようなんて思っていなかったからだ。
社会性というのは少なからず、意味の通る事を言うことに関連する。
そして意味の通ることを言うには、既に意味の通っている言葉を使うのが一番簡単だ。
難解な語彙やささやかなレトリック、比喩される対象によって比喩する対象を示す手法は、日常会話では聞き流される。
そしてありふれた言葉が何故か非常に面白いことのように語られる。
favlogを読んでいた。やっぱりそうみたいだった。
詩が減ってるんだ。そんなこと気にするべきじゃないのかもしれないけど。
磨かれた言葉に囲まれて生きている事自体が可笑しいのかもしれない。
それは人生に何年かだけ与えられた期間なのかもしれない。
だけど特段詩人に定年があるわけではない。詩を作る器官も未だ痕跡にはなっていないのだろう。単純なルールを決めてみるべきだと思う。それが抗う数少ない方法なんだろう。