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I'm only sleeping

日記 雑記 思いつき ついったー https://twitter.com/1dgwa

知恵のボトルネック

 

ドラッグカルチャーはサイケデリックミュージックを生み出した。その傑作(例えばサージェント・ペパーズ・ロンリーハーツクラブバンド)は素面で聴いても素晴らしいと思えるものだ。ドラッグの悪影響が取りざたされるが、芸術に与えた利益を完全に否定することは難しい。少なくとも、新しい作品は生まれた。
スマートドラッグはどうだろうか。それによって頭の回転を加速した結果、素面の人間によっても理解できる優れた思索は生み出されたのだろうか。これを検証するのは難しい。その影響下で書いたと公言する人が少ないからだ。
思考の速度が加速しても、観測者がそれを理解できなければそれは意味不明なものとなる。いや別に、それはサイケデリックミュージックも同じことなのかもしれない。新しい技術の一般化と、ドラッグの広まりが合致しただけなのかも。その辺りを解きほぐすことは困難なのだけど。
加速した思考とは一体なんだろうか。ポストモダニストは人文学から科学・数学にまたがる所謂学際的な記述によってそれを演出したが、科学者たちによってその虚構は暴かれた。結局のところ魅力的な思考のボトルネックは、実証・検証であって、思考の加速は最早あまり有効ではないのではないか。何か新しい物事を示そうと思ったら、しっかりと検証することが必要になる。知識は十分な速度で拡散する。だけど効果の検証は、時間が絶対的に必要だ。世界は未だに検証すべき仮説で溢れている。しかし実証するための時間と費用はいつだって不足気味だ。それこそが問題になる。
仮説検証を加速することは可能だろうか?それは微妙だ。人体に対する薬剤の影響が理論で全て理解できるわけではないし、薬剤規制の発端になったジエチルグリコールは、薬ではなくそれを溶かす溶媒だった(製造者は、その甘みが子供向けの咳止めシロップにぴったりだと思ったのだ。その腎毒性を考慮することなしに)
ゆえに、検証すべき仮説を絞っていく必要が生まれる。それをいかにして絞るかが問題になるわけだ。
どの仮説が検証すべきかの基準について、はっきりしたものはわからない。しかし少なくとも、検証が可能であるものが選ばれるべきであり、仮説の敗北条件は始めに決められるべきなのだ。
仮説の敗北条件が明快であるなら次は何だろうか。
既存の文献によって言及されていないか、ということだろうか。しかしこれには罠があって、全く新しいことが明快な敗北条件をきたしていても、科学とみなされないことがある。ゆえに革新的な科学者たちは科学のお作法に則り、先駆者を想像する。しかしこれは妙な話で、先駆者のいない科学というのはいくらでも存在してもいいはずなのだ。先駆者の創造、という事象を知らずに科学を学んだ場合、その進歩に何か重大な問題点を与えるような気がする。
実際、魅力的な仮説を見つけたとして、先駆者がいないからその仮説を捨て去るというのはおかしな話ではないか。
おかしな人間の考えがおかしいかは、明確な敗北条件の設定によってかなりシャットアウトできるのではないか。

じゃあその他のスクリーニングは?それが科学だったかを検査する妥当な方法というのはあるだろうか。過去の任意の学説に当てはめて、それがどのくらい望みのある仮説かを判定するツールは存在するだろうか。

反証可能性は、それが科学なのかを判定する道具として、どのくらい有用なんだろうか。その感度と特異度はどれくらいなのだろう。