役立つ小話は役に立たない
格言は使えない
ネット上ではいろんな名言集がある。ツイッターにも沢山の名言botがあり、タンブラーでも日々いい話が流れている。
ときおりタンブラーを眺めて延々良い話、為になる話を読んでいる時がある。どちらかと言えばそういう時は部屋が汚く、雑事にまみれ、頭の中がごちゃごちゃして、現実逃避の言い訳を探している時だ。
そしてそこで読んだありがたいはずの言葉は、殆ど頭に残らないし、役立たないし、むしろ有害なんじゃないかと思うことさえある。
身体化する過程が必要
名言というのは自分の行動によって雑然とした思考が研ぎ澄まされ、削ぎ落とされた結果として生まれるものなんだと思う。
それはどこか、本の要約に似ている。
要約によって最も利益を得るのは、その要約をした本人だ。
書かなかったこと、暗黙の文脈を読み取れるのは、要約した人だけだ。
もちろん、目の前の試験の時に、さっと頭に流し込むには要約は便利だ。しかしその知識は、身体化されない。身体化されるだけの強度を持った文脈を有していない。