I'm only sleeping

日記 雑記 思いつき ついったー https://twitter.com/1dgwa

陰謀・妄想・スピリチュアルが世界を単純化するという仮説について。

 陰謀論も妄想も、所謂スピリチュアルも全て、奇妙なもの、変なもの、一風変わった考えとみなすこともできる。たいていの人は礼儀正しく、そういう考えもありますね、と言って目をそらすなどする。それは偽りの秩序だ。世界を単純化する。星占いの計算式がいかに複雑であっても、そこには運命が計算可能である、という信念が存在し、それは間接的に世界を単純化する。行動に理由と秩序を与えてくれる。

 

 それには明快な利益が存在する。わからないことから逃れることができる。自分の行動に希望を抱くことができる。失敗した場合、そこには明確な原因が存在する。

 さして明確な理由も見つからず、失敗した原因も基本的にははっきりとせず、手探りであれこれいじっているうちに上手くいったり失敗したりする。そういうことにどうして耐えられなくなるのか。

 別にこの、秩序の存在を仮定し、それに安住する態度は”一風変わった考え”に限ったことではない。僕らが日常の問題…人間関係や何かだ…で悩んだ時、精神科医や心理学者、臨床心理士を引き合いに出して、専門家なら上手く解決してくれるだろうと考えることがある。しかしそれらの職業は決して日常のよくある悩みの専門家ではない。それを本当にわかっている人、はいるかもしれないが、育成できるものではないし、本当にわかっているかどうかを確かめる方法もない。

 にも関わらず、様々な領域で専門家の知識が存在すると仮定して、安心することがある。しかし誰も解決策を知らず、そのための知識はどの図書館にも論文にも存在しないということは、ざらに存在するのだ。

 僕らはしばしば、偽りの秩序を仮定する。

それは宗教的なものであったり、個人的なジンクスであったり、専門知識であったりする。それに問題を載せてしまうことで、安心する。

 ここで描いたような、心理学者、占い師のことを、精神分析では、”知っていると想定される主体”と呼ぶ。

精神分析医は、患者にとって”知っていると想定される主体”だ。患者の問題点について知っており、その心を分析できるとされている。

 スラヴォイ・ジジェクはそれが存在しないということを示すことによって、精神分析は患者を現実と向かい合わせる…らしい。(『ラカンはこう読め』によれば精神分析は…ラカン精神分析は、ということだが、患者の幸福、治療、安心のためではなくて、現実に向き合わせることを目的としているらしい)

それはそれとして。

 

 現実の複雑さは、知っていると想定される主体を仮定することで、ずっと単純になる。これに冷水をぶっかけるのがポパー反証可能性で、それは様々な学問の信頼性に疑問を投げかけ、本当に信頼に足るものはほんの僅かだし、変化し得るものこそが信頼に足るものだ=確かな知識であればあるほど、それが変化する可能性がある、という、非常に不安になる結論を導くのだ。

 

 残念なことに人間の認知機能は限られている。だから知識の不全性を知覚し続けるのは不可能だ。じゃあ健全な単純化と、そうでない単純化がいかにして分類されるのか。

 

 一つは自分の知識や秩序を笑い飛ばせることだ。人から見た場合にどう思われるかを、適切に想定できることだ。つまり人はこの考えを笑うかもしれない。だけど僕は有用だと信じる、とか、この考えは間違っているが安心するために必要なんだ、みたいな信頼と疑いの混じった信念の存在だ。いずれにせよそこには他者が存在する。