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I'm only sleeping

日記 雑記 思いつき ついったー https://twitter.com/1dgwa

無意識の誤った理論化、その病

 膨大な物事を記憶するためにロジックに頼るのはよくあることだ。それは時には正確で、効果的な方法だ。例えば公式を暗記するのではなくて、定義からの導出ができるようにしておけば、公式の意味について深く理解できるし、忘れても思い出すことは容易だ。物理学についても似たようなことが言える。

 しかし脳や人間の行動に関しては、全く様相が異なってくる。そこでは理論は限定された領域でしか役にたたない。未知なる要素が多すぎる故に、そして人間の知ることによって変化する性質ゆえに、ブラック=ショールズ式みたいな素朴な仮定に基づいた複雑な理論は見当違いの結論を導く。

 論理化出来ない領域で膨大な暗記が必要になる場合には、希薄な根拠でこじつけることがよくある。それは記憶のための論理だ。

 これはしっかりと覚えておく必要がある。

 だけどそれでは不十分なのかもしれない。

 

話を精神医学に移す。

 うつ病セロトニン仮説や、認知症アセチルコリン仮説や、統合失調症ドパミン仮説があくまでも仮説であって、一対一対応ではない。

 一対一対応に対する強固な反証と、希薄な根拠を知っている。にもかかわらず、僕は先日問われたときに(人の記憶を助けるという配慮があったのは間違いないけれど、それなら注釈をつけたっていいはずだった)僕はすらりすらりと上記の根拠が極めて薄弱なセロトニン仮説の話をしたんだ。

 ディビッド・ヒーリーも、エリオット S.ヴァレンスタインも、そんな説明をする必要はない、その仮説は事実ではないし、現実の複雑さを誤解させる害の方が遙かに大きいと、そう書いている。

 経済学の分野では、ナシーム・ニコラス・タレブが同じようなことを書いている。彼は古代の医師に習い、理論化は最小限にして事実の記載に専念するべきだとしている。そうすることで理論化という病から逃れることができるのだ、と。

 それほどまでに彼が理論化を恐れるのは、経済学が非現実的な仮定の元になり立ち(実際、経済学の根幹概念「合理的経済人」はダニエル・カーネマンによって反証されている)、それに従って資産運用をしたり企業や国家の経営を行うと、酷い破綻が訪れるからだ。

 

 それだけの事実を意識していながら、するっと簡単に理論化された概念が飛びでてしまうのは、理論化がどれほどまでに望まれているのか、間違っていても分かりやすい説明がどんなに惹きつけられるものなのかを示している。理論化への反抗は恐らく、ダニエル・カーネマンのいうシステム1(感覚的な情報処理)への対抗と同じくらい難しい。システム1は単純な理論を好む。短いフレーズ、明快なロジックを好む。一方のシステム2は論理的推論を司る。これによってわかりやすい判断の危うさを留めることができる。

 

 上手くシステム1が理論化を止めてくれれば良いと思う。システム1に理論化してるのにはなんであれ気をつけろ、と命令しておく、そしてシステム2がその理論化の限界と適応範囲を検証する。これがあるべき形なんだろう。  

 僕はそう意識して来た。だけどふっと言葉が出てしまったんだ。これは本当に驚くべきことだ。このバグをしっかりと検証していく必要がある。どうしたら、わかり易く説明した場合、幾つかの注釈が必要になる事を、分かりやすく説明できるんだろうか。説明なんて諦めるべきなんだろうか、それともアナロジーを使うべきなんだろうか。ディビッド・ヒーリーは精神医学でいかにして最初に発見された4つの神経伝達物質がそれぞれの疾患に当てはめられたかを短くまとめている。

 

"1960年代にわかっていた神経伝達物質といえばノルアドレナリンセロトニンドパミンアセチルコリン(ACh)のわずか4種類だった。ノルアドレナリンうつ病気分障害と関連づけられた。ドパミンパーキンソン病に関わっていることが知られていたが、抗精神病薬を通して統合失調症にも関係していると考えられるようになった。セロトニンは大筋のところうつ病あるいは不安症に関係しているとされた。アセチルコリンだけが何の機能にも結びつけられていなかったので、認知症が割り当てられると収まりが良いように思えた"

ディヴィッド・ヒーリー 『ヒーリー精神科治療薬ガイド』

 

そう、例えばこんな感じに。注釈ではなく、語り口で。

言外に語らせるべきなんだろうか。だとすればそれがきちんと伝わっているとする、十分な証拠はどうやって探し出すべきなんだろうか。