I'm only sleeping

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日記

 随分久しぶりに文章を書くような気がする。説明のブログやなんかは書いていたけど、特別何か伝えるような、頭の中をトレースするような文章は書いていない。理由がなにかあるのかな、多分やたらと珍しく活動的になったからだろうな。ボドゲ会に行ったりあちこち出かけたりバイトしたりしていた。それくらい普通だよって思うかもしれないが僕の普段の休みはもっとずっと非活動的なんだ。ずっと家にこもっていて、週に二回も出かければその週は活動したなあって言えるくらいなんだ。別に花粉症が酷いわけでもないし、出かけるのが嫌いってわけでもないんだけど。

 

 自分の頭の中に出てくる新しい何かというのがすっかりなくなっていて、なんていうか頭のびっくりばこを開けるような感覚は随分なくなったみたいだ。ある意味では落ち着いたと言えるんだろうし、本やら論文もすいすいと読める。別に脳が膿んだわけでもないと思う。実務的な方面に頭が向かいだしたってことなんだろう。しかし何かが出てくる感じはないし、ツイッターを眺めてても何だか面白くないんだ。自分で何かを言えるような気もしないしねえ。

 

 半年前に書きかけてた小説を書きたいなあと思っている。具体的になにか書き始めたりはしないんだけど。

なんやかんやずっとcivクラスタとゲームの話をしてたりするので、会話への欲求がその辺で満たされてるところはあるんだろうな。良く孤独は健康に良くないって話はあるが、それはどの程度面と向かない会話で改善できるんだろうか。

 

 この辺の頭が落ち着いてる感じは、多分ポパーの開かれた社会とその敵を読んだことが関連しているのだろう。ポパーの思想はヘーゲル式の曖昧な物言いを批判するし、明晰な理性への信仰と、実践による試行錯誤こそが学問を、社会を発展させるための唯一の方法なのだという考えは、非常にシンプルで、行動と記録を促す以上のものではない。

 

 しかし彼を僕はマルクス反証可能性で持って切り捨てたと判断していた。実際に彼の批判を読んでみると、そこまで単純な話ではないし、ヘーゲルプラトンアリストテレスヘラクレイトスに比べれば、開かれた社会とその敵の中では最大限の共感を持って扱われている哲学者なのだ。彼はマルクスの意図を否定はしない。彼の分析の幾つかは賞賛するし、マルクスが望んだ社会革命の大半は民主的に成し遂げられていると説明する。つまり労働法や公共教育、そして社会福祉制度のことだ。マルクスについて語られるときに最も代表的な目標である私有財産制の否定こそ実現されていないものの、我々の考えはマルクスの時代の自由放任主義者よりも、現代の自由放任主義者でさえマルクス的になっているのだと説明する。実際、僕たちは6歳で働き始め15歳で亡くなる工場労働者をそういうものだと受け入れることは極めて困難なはずだ。

 ポパーマルクスを否定するのはその意図ではなく、あくまでもヘーゲルに連なる弁証法を用いた歴史予言の方法だ。予言自体が論理的に間違いを有むし、それ自体の有害さについて筆を尽くして語っている。僕はタレブを読んでから、予測からはなるべく関わらないようにしている。意図的に嫌悪するようにしている。ビジョンはビジョンとして存在するだろうが、結局のところそれは一つの可能性であって、賭けるものはささやかにすべきだと考える。

 

ポパーは歴史予言的な方法を否定し、そして民主主義的な・試行錯誤による社会改良を促す。そしてその合理主義は信仰によって裏付けられているのだと、つまりは結局、究極の根本的な理由など存在しないのだと書いてしまう。彼は答えを知らない哲学者で、それを誇りにしている。ソクラテスの伝える知を実践するのだと言って。彼は人生の意味についても、それはあなた自身が意味を与えるものであって、どこかに存在するものではないと断言する。考えて見れば至極あたりまえだが、その単純さにはどうにも重さがつきまとう。彼は真理を探求するための方法についてだけ語り、真理について語ろうとはしない。そして「よりよき世界を求めて」によれば、真理に限り無く近づくことはできても真理自体を捉えることは無理なのだ。

 

僕は彼の説明の全てが合理的だと感じている。そこには一つの単純な原理原則があって、それに従わない理由は無いように思える。批判的に捉えるべきだという話もある。それは実際そうなのだろう。実際、合理性に対する答えも、人生の意味に対する答えも、わりと投げっぱなしな結論であるように思える。実際、彼の理論を発展させた哲学者というのはあんまりいないみたいで、少なくとも日本語で翻訳されている人はあまりいないようで、哲学領域ではあまり人気がない。ヴィトゲンシュタインが哲学を終わらせた張本人であるかのように語られることは多いけど、ポパーのほうが哲学を終わらせたんじゃないかと思う。実際、彼の思想は哲学者にはほとんど引用されないんだ。

 

結局ポパー哲学の説明でなんか終わっちまった。でもなんか考えてることは実際その辺でさーって消えちまったんだよ。頭の中にぽんぽん知識ぶっこむ過程を経てたってのもあるかもしれん。もう少し漠然たるものを愛していたとは思うんだけどね。漠然たるものが生き延びれる領域としてあるのは小説だろうけど、小説は全然読めてないんだよな。こないだキャッチワールドを読んだが、なんだかとんでもない話だったな。クロウって一体なんなんだよ。途中でぐるんぐるん展開していくんだ。ああ、そうだ。ウエルベックが参考にしてたハクスレーの島でも読んでみようか。