I'm only sleeping

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無い

窓を開けて空気を入れ替えて糞寒い風が流れこんでくるからぼろいコートを羽織ってティファールの電源を入れる。
溶けてないココアが入った容器にインスタントコーヒーをいれてお湯を注ぐ。
寒さにはどれだけ時間がたっても慣れないし呪詛の言葉だけが浮かぶ。しかし空気を入れ替えなきゃ頭がさっぱり回らないんだ。しかも回らないことにさえ気づかない。足を動かすとふらふらとして身体がびくんとなって幾らか意識が遠のく。急に酸素が入って驚いているらしい。どこかの小説で全ての代謝経路を自身でコントロールすることで驚異的な力を発揮するみたいな話があったが、身体の数値を常々フィードバックしてりゃ人間はなにか別物になれるんだろうか、血圧やら血糖値をコントロールする方法を生み出せたりするんだろうか。
少し眠りたいと思うが別段眠くはない。外は強く雪が吹雪いている。二週間ほど前に今年最後の晴れの日があった。
星も見えない。時間は無為に過ぎていく。どれだけの時間をこたつで寝転びながらTwitterを眺め天井を眺め転がってる漫画をなんとなく流し読みして過ごしただろうか。冷たい飲み物を飲むのが好きだが寒い日にそれをやると胃がびっくりする。しかしアイスなんかは平気で食べれたりする。
部屋を出る。暖房はつけっぱなしだ。雪の日にはフードをかぶって外を出歩くべきなんだと思うが、存外傘をさしてる人がいる。どうしてかはわからないし、実際この街はあまりに風が強いから、簡単に傘が壊れてしまう。ビニール傘が壊れるのは愚かだと思うだろうが、コンビニで売っているのはビニール傘だけだ。そして風に強いタイプの24本梁があるような傘や、耐風特殊構造の傘も強い風には対抗できず思いもしれない部位がちぎれたり外れたりして使い物にならなくなってしまう。
だからトレンチコートを着て、下にはジャージを履いて、ブーツを履いて外にでる。特別に行きたい場所もないのだけど。
なにか欲しい物が手に入るというのは非常に珍しいことなんだと思うが、何でも手に入る本屋がネット上にある以上本屋に行くと待ってるのは失望だ。数少ない楽しみを与えてくれるコーナーはあるのだけど、そういう場所の本は結構高かったりするから、滅多に買えない。これみよがしに棚に大きく並んでいる本を、買って何度か失望した覚えがある。しかしその失望だって、ひとぐぐりしておけば避けれたと思うのだけど。
いや、別に俺は本屋に行ったわけじゃない。
そういえばどこか知らない街にふらっと行って、素敵な本屋に巡りあうという物語があるだろう、あれはきっと物語なのだ。
現実にはもっとずっと通俗的だ。安っぽいビジネス本とありふれた文庫本が並んでいるのだ。そしてお決まりの実用本コーナー。
それでもたまにはそれと見えないポルノ書店でジャンプ漫画が全部立ち読みできるって現代とは思えないような時代錯誤な場所があったりするけどね。
そういう店があるのは東京だけだ、というのは言いすぎだと思うけど、街は思ったよりずっと一般的なものなのかもしれない、と思う。
特別な何か、なんてものはめったにありはしないんだ。あったとしてもそれは誇張されたものだったりする。
ああでもどこだか忘れてはしまったが自転車で登った山にあった牧場のソーセージやソフトクリームはとても美味しかったな。
多分旨いものを食うために遠くに歩いたり自転車で走ったりするのは愚行なんだろうがそれは幸福だよなあ。
天下一品に行こうと一年前に決意して3時間ほど歩いたことがあった。食べログの評価は3.0だが俺は一度食べてみたかった。実際、4時間かけて店に行ってラーメンを食って愚痴レビューを書いて4時間かけて帰っていったどこかの人間がいるのだ。特別な店じゃない。よくある健康に悪い類のチェーンだけど、そういう情熱はあるんだ。
で、二時間ほど歩いていたが夜であり携帯を忘れたこともあってさっぱり場所はわからなかった。ひどく寒かった。目が覚めてから一度も飯を食っていなかった。恥ずかしさを堪えて人に道を聞いたが全くわからないと言われた。後に車で来てみたら、僕が迷ってた当たりはかなり近いと判明したのだけど。
その帰りに小さなカウンターしかないような簡単な料理を出す店で焼きそばの大盛りを食べて帰った。ひどくうまかったが俺はそれいらいそこには行ってない。それはまるで俺の中では整合性が通っているのだ。人と話したいなと思う気持ちは大体ネットで代替できるじゃないですか、だとすると人間と話すのは特別なことになる。それは魂がしびれるような体験じゃなきゃならなくなる。自動化された会話を延々と続けるとどうにも腐っていくじゃないか、慣れることでどうにかなると聞くが慣れるというのは少し死ぬことに違いないと断定する。