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I'm only sleeping

日記 雑記 思いつき ついったー https://twitter.com/1dgwa

日記

酒をしこたま飲んだが眠れないのは昨日の午後三時に目が覚めたからだ。それからしばらくだらだらして醤油味のパスタを食った。ネギを上手く調理するにはやっぱり揚げるのが一番なのだろうが、細かく砕いて時間をかけて弱火で炒めるのは結構めんどい。

 タレブ『強さと脆さ』を読んでいた。これを読むととても安心した気持ちになるのだ。予測できないという確信をいだいている言葉は精神に良い。それで、文字をたくさん読んだことでようやく散歩する気になり、遠くまで健康サンダルを履いて歩いた。健康サンダルはおそらく履かないほうがよいが、そうやって覚醒させたほうが酔った頭には良さそうだと酩酊した頭で確信した。案の定後悔して帰り道は休み休みだった。

 星が沢山見えたように思えたが、見上げた場所ではたくさん見えるが、離れた場所では明るい星しか見えない。

 この道を歩く人は滅多によそ見をしていないし、無論空を見上げてなどいない。しっかりと前を見据えて、規則正しく足を動かしている。僕らの御先祖様はそんなふうに歩かなかったと思うのだが。

 何かを考えていたんだと思うが考えは動いてしまっていて今では忘れてしまっている。

家に帰ってからは江波光則『密葬』を読んだ。樹木葬がどっかに転がってると思うのだが、どこにもなかった。風呂に入りながらゆっくり読んだ。話の筋も仕掛けも知っている。難しい謎掛けや意味ありげな部分なんてほとんどないのだが、なんども読んでしまうのは彼の書く文章がとても好きだからなのだろう。主人公が抱える人を殺してしまったということ、自分を消してしまいたいという悩みはさっぱり実感がわかないし共感はできないが、そういうものとして入り込んでしまうのだ。

 好きなものについて語ることはあんまりないような気がする。今挙げた二つの本はなんども読んでいる本で、だから好きだと言える。しかしどのようにして、というのは妙に難しい。

digitalismの曲がなんとなく好きなのは歌い上がらない所だ。

しかし文章で好きなのは抑制なんて効いてないほうなんだよな。

過剰な比喩、膨大な無駄に思える説明、下世話な比喩、タレブの強さと脆さが好きなのはそんなところなんだろう。彼の文章は無駄だらけだが要約するのは難しい。いや、本の中で要約はしてるのだが、彼の考え自体が直観に反していて、しっくり来るのが難しいために要約という手法が最初の説明では余り役に立たないのだ。

実際、文章には冗長性が必要なんじゃないかと思う。綺麗に要約した新書とか、読みにくくて仕方ない。何かを理解するためには遠回りしたほうが近道ということは十分あるんだろう。法則とか原理を抜き出して考えずに膨大な具体例を示したほうが遙かにしっくり来るように思える。

 

なんだかんだ哲学書よりもずっと行動経済学関連の本に影響を受けている気がする。カール・ポパーに関して読んだのはあくまでも軽いエッセイだけだし、本格的な哲学の本を読むことは滅多にない。少しずつ読んでいた開かれた社会とその敵はぶん投げてしまったしな。

あれこれ考えながら本を読むには静かな時間と人に邪魔されないって確信と孤独と座り心地の良い椅子が必要なんだろう。

で、それを手に入れるのは結構難しいことなんじゃないかと思う。

しかし金持ちになるよりは簡単だ。まるで不可能というわけでもない。

 

そういえば文章をある程度書いた後はすげー深く眠れるんだよな。あれはなんなんだろうか。しかし頭がくたくたんなるまで書かないとダメだ。

久しぶりにポール・グレアムみたいなエッセイを書くのもよさそう。小説はノートに書いたまんま、清書する作業がかったるくて放置している。