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I'm only sleeping

日記 雑記 思いつき ついったー https://twitter.com/1dgwa

どこに”考える”は存在する?

 考える、というのがよくわからない。頭を使ってはいるが、思考のかなりの部分はバックグラウンドで行われているから、自分がなにをしているのかをうまく理解できない。

 

考えることは、思いつきに近いもので、それと別に検証段階が存在する。

 

思考というプロセスにはおそらく、アイデアとその検証が混在しているのだ。それはある意味では混乱なんじゃないか。

 

考える事があまり有効な手筋ではないんじゃないかと思うようになったのは、行動経済学の本で山ほど人間の思考の悪い癖を見せつけられたせいだ。

 

 ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』で提示された人間の思考バイアスを読めば、自分自身がとてもわかり易くごまかされてしまう人間だとわかる。

 それに対抗できる手段というのは、時間を置くとか部外者の視点とか、なんとかしてスローな思考を引っ張ってくるところにしかないということがわかる。だけどそれはとても難しいし、つらいプロセスだ。

 

 切り分けられた思考というのはとても単純でつまらなくて、考えるという行為には値しないように見える。アルゴリズムとは、問題を解決するための操作手順だ。アルゴリズムを使う場合は、指示通りに物事を進めていくだけだ。ところどころにアルゴリズムに上手くはまり込めない出来事が生まれるわけで、そういった場合には少し判断する必要が生まれるのだけど。

 

 アルゴリズムは考えない。基本的には誰にでも運用できるものになるはずだ。アルゴリズム化されていない状況では、同じことをするのでも考えなくちゃいけない。いろいろな物事を総合して判断しなきゃいけない。

 

アルゴリズムを適用する例として、2桁同士の掛け算を考えてみよう。38×64とか、そういうやつだ。これを暗算でやるのはかなり難しいし、時間がかかる。暗算でやるのは考えることだ。だけど小学校で習ったように、筆算で行うのは考える事にはならない。筆算というのはアルゴリズムだからだ。筆算は全ての計算を九九に落としこむ。単純なルールがあって、それに従うだけだ。

 

 考える、と言われている物事は大部分アルゴリズムに落とし込めるんじゃないかと思う。そしておそらくはアルゴリズムに落としこむ事自体を考える行為だとしたほうがいいように思う。

アルゴリズム化するためのアルゴリズムというのは作成可能だろうか?)

 

 プロセスを追っていくタイプの考える能力は批判にこそ向いている。アルゴリズムを作ったら、その弱点を幾つか思いつくだろう。そういう状況になって考えるという行為が生きてくる。とはいえ最終的な結果は検証と観察によるしかない。

 

学校で学ぶ勉強の多くは別に考えることなんてない。高校数学の多くは手続きを学ぶことだ。手続きのややこしさと何を適応すべきかのわかりやすさが違うだけで、筆算と積分に大した違いはない。

 

国語もおそらくはそうなのだ。国語のくせにあまり言語化はされないが、センター試験なんかの場合、多くの問題はそこに書かれていることを問題文にそのまま適応できるかどうか、というのを繰り返すだけで自動的に答えが出る。

 

 人の悩みを聞くことでさえ、ある程度はアルゴリズムにできる。傾聴というのがそれだ。相手の言った言葉を繰り返す。しかし何を繰り返すべきなのかは考えなきゃいけない。何でもかんでも繰り返すべきじゃない。

 

 そしてその検証はとても難しい。本人が救われたと面と向かって言ってくれたとして、彼の行為が変わったどうかはわからないし、自分自身の行為が感謝を強いたのかもしれないし、そもそも長い目で見なければ何が良いのかはわからないからだ。

 

 考える行為は頭を使う。だからこそ考えるべき場面にたっぷり頭を使えるように、それ以外の部分をなるべくアルゴリズム化しておくべきなんじゃないか。