I'm only sleeping

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コミュニケーション

何でもない会話をしていて不思議に思うのはよくもまあ大勢の人が曖昧に定義された言葉で会話のようなことをしているのだなということで、コミュニケーション能力にしてもモテるにしても意識高いにしてもアスペ(アスペルガー症候群ではない)にしても頭が良いにしても人格者にしても定義は人それぞれだ。

現実の会話でいちいち定義を確認するのは手間がかかる。そういうやり方は双方の合意を取り付けた上での厳密な議論の時に限られるべきだろう。

そういうやりとりをした後は徒労感に襲われるのはなんでだろうか。

会話の曖昧さはそういうものだと割り切るべきだろうか、おそらくそうではない。というのは自分の使う言葉に不満を覚えている人間は少なくないからだ。話を聞いてもらうことによって悩みを和らげることができるという。話を聞くというのは単に受け流すことでもあるんだろうが、その言葉をしっかりと削りだして言いたかったことを形にする作業でもある。

 

自分なりにしっかりと削ったつもりでも根本的な問題はなんにも解決しないこともある。問題を提示して解決した気分になってもらうみたいな場合だ。

行動は話をするのよりもずっと難しい。大切なのはエイヤってやっちまうことなんだろうが、それは結構しんどいことだ。踏み込む段になってどうしてもたじろぐ。

俺は物事を考えるときに山ほど会話のシミュレーションをしたりするんだが、その通りに行ったこともないし、そういう言葉を口にすることもない。実際はそういうものが全部なくなってしまうことが多い。

どこかに消えちゃうんだ。

この行為はなんか呼吸みたいなものなんだけど、意味があるのかはわからない。小説を書いた副産物なんだろうかとも思うが、小学生の頃からあったような気がする。そしてその時と精度は大して変わっていないように思う。シミュレートした通りにいくものじゃないと予測できる程度には成長した。しかしそれくらいだ。頭のなかで自動的に開始される会話は現実よりもずっと意味を持とうとするしずっと厳密なんだけど、しゃべるのは多分そういうことではない。おまけに表情や動作もある。