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I'm only sleeping

日記 雑記 思いつき ついったー https://twitter.com/1dgwa

情報のダイエットを試みる

ピーター・ドラッカーの著書、傍観者の時代で、フォード株を専門にするトレーダーが、フォードが何を作っている会社かを知らなかった話が出てくる。

彼は何十年もフォード株一筋でやってきて、ずっと生き残ってきたタフなトレーダーだ。似たような話はタレブのアンチフラジャイルにも出てくる。詳細は忘れたが、スイスの株を扱っていたが彼はスイスがどこにあるのかを知らなかった(世界地図でギリシャのあたりを指さした)のだ。

情報というのは頻繁に摂取すればするほどノイズが増える。

一年単位での血圧の変動は意味のある値だけど、特別病気もないのに毎時間血圧を測ってその変動に一喜一憂するのはなにか間違っている。

一年単位でのある株の値段が安くなるのは、何らかの出来事を反映している可能性があるけど、一日単位であればそれは単なる気まぐれな上下動に過ぎない可能性が高い。

それと同じのがツイッターにも言えるんじゃないかと思う。俺はなにかツイッターのTLを眺めるのに不快さを感じていたけど、それをやめるのができなかった。必然的に小説を読む時間をとれなくなるし、息の長い集中力が侵されているような感じがした。細切れの情報しか摂取できなくなっているようだった。

無論その全ての原因をツイッターに帰すべきだとは思わないのだけど…。ひとまず情報をダイエットしてみるのは大切なことなように思えた。本当なら、毎日のあらゆる情報も出来る限り制限して、あちこちを散歩して古い本を読み、文章を書いたり会話をする、そんなふうに過ごしたいのだけど。

少なくとも最近は努めて長く歩くようにしている。夜になると殆ど何も見えなくなるので、昼間歩くのがやはり良いみたいだ。

とか言ってる間にもツイッター眺めてしまうんだから結構酷いなあと思う。記録するのが大切って誰かが言ってたっけ。

少なくともなるべく自分がコントロールできない事象は、減らしておきたいなと思うのだけど、意識せずに過ごしているとどんどん細切れの情報に慣れてしまうな。息の長い思考ができるようになりたいのだけど…。2chまとめサイトも努めてみないようにしたいのだけど、そういうコンテンツは何も意識してないとつい眺めてしまう。ある種の情報は有害だけど、魅力的だ。だからそういうものは意図して遠ざけるべき、なんだけど。

 

息の長い思考は本に特異的なもののような気がする。他のメディアでこれを表現するのは難しいような、クラシックの楽曲なんかはあてはまったりするんだろうか。プレゼンでそういうのたうつような思考を手繰ることは殆ど不可能だし、ツイッターやらブログもどうしても細切れの情報になる。映像はどうだろう。映画は多義的な意味を持つものがあるように思うし、じっと思考を張り巡らせるような注意深さを必要とするものがある気がするけど。

数学なんかは典型的にそれだ。記号の処理はそういう性質をもつものがあるんだろうか。音楽を聞く場合よりは作る場合にそういうものがありそうだ。

 

情報を減らせば少しは深く潜れるようになるだろう。他に何が必要だろうか、そういう思考が結実した文章を読むことだろうか。それはひとつあるだろう。それから自分でも書いてみること、そして多分、体を動かすことだ。というか、思考以前のものを遊ばせておく、ということなんだけど。

しかし歩いてみても退屈がなんだか押し寄せてきてちょいちょい携帯を開いてしまう。金に余裕がないのと、時間の制限がちょいちょいあるのが原因だろうな。

律するような仕組みはまだ考えてない。とりあえず携帯のアプリは消した。あとはツイッターしたことをせいぜい記録してみることくらいか。

しばらくやめてからツイッターをやると本当に楽しくなるのだけど、それもまた禁煙をやめたあとの一服は旨いみたいな話になる。それはそれでいいか。いいのかな。