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I'm only sleeping

日記 雑記 思いつき ついったー https://twitter.com/1dgwa

精製された希望

鬼椿製薬の研究室で作られた新しい化学物質は、心臓の安定性を高めることを目的として作られていた。LFI2563は、特別心臓の安定性を高める物質ではなかったが、投与されたマウスが妙に幸福そうに見えることから、さらなる研究が必要とされていた。

 無論、幸福などという主観的な基準が信頼に足るわけではない。だからこそ、研究者たちはこの化学物質をただの化学物質のままにしておくべきではないと考えた。職員である飯ノ森和夫は、この化学物質をうっかり口に入れてしまったのだが、彼はそのことを当時の研究ノートに書き記している。

「少しずつ身体が温まってくる。心臓のあたりがぽかぽかとする。製薬研究所の無機質な白い壁を眺めていても、そこに込められた偉大なる意図を見ている思いがする。全てがうまくいくような気がする。失敗は大した問題ではない。それは間違った場所を教えてくれるのだ。頭が明晰になる感じ、カフェインや煙草やアルコールとはぜんぜん違う。精神安定剤の強制的に落ち着いた気分にさせられるものとも違う。自然な心のありように舞い戻ったようなリラックスした気分…」

 

 飯ノ森和夫の偶然の発見は重宝された。彼は自主的に被験者となった。この事実は長い間伏せられていたのだが…。彼の全身の健康状態がモニタリングされた。異常はなかった。彼の持病である不整脈の発生頻度が僅かに減少したくらいだった。それは望ましい変化だった。しかし心拍数の変化も、血圧の変化も優位だと言えるほどではなかった。そのデータは少なくとも、短期投与における安全性を指し示しているように見えた。

飯ノ森和夫はこの薬に密かに名前を付けた。精製された希望、と。

 

 飯ノ森和夫が姿を消したのは経過観察がはじまって二ヶ月した頃だ。それがなぜなのか皆はわからなかった。急性の副作用なのかもしれないと誰かが言った。大量の精製された希望を持って抜けだして行った。行方は知れなかった。警察に被害届を出した。突然の失踪に理由はなかった。薬物を投与したのではなくて、あくまでもうっかり飲んでしまった実験用薬剤の経過観察と治療だということになった。

 

 飯ノ森和夫は森の中にいた。彼は富士山の麓、富士の樹海をさまよっていた。ダンボールを持って人里の近くに住み着いた。別段迷うようなこともなかった。彼は単純に、楽しみたかっただけなのだ。一日一錠飲むだけで途方も無い幸せが舞い込んでくる。それは随分と生きたいというきもちにさせるものだった。そして実験室で延々と飼い殺しにされているのは、生きるとは言えないのだ。生きるというのは死を間近に感じることだ。飢えも恐怖も不安も痛みも、全てを受け入れ肯定することだ。こんな確信が彼の内に芽生えていた。

 

 彼は工夫に富んだホームレスになった。彼の表情は明るかったし、清潔にするだけの金は持ち歩いていたので、近所の人々は彼がホームレスなんて思わなかった。唯一疑っていたのは彼の行きつけのクリーニング店の人だったが、彼はとても無口な人間だったので、他の人がそれを知ることはなかった。

 

 どこか聖人のような佇まいを持つようになっていた。食事は質素であり、ダンボールに寝転がっていた。毎日あちらこちらを歩きまわっていた。困っている人間には手を差し伸べ、もっと苦しそうなホームレスには食事を分け与えた。彼がこの時喋った言葉は記録されていない。これは私の推察になるのだが、彼は自らの思想を熟成させていたのだと思う。話さず、ひたすらに歩きまわり考えることで、彼は後年著述する様々な思想の原型をふくらませていたのだろう。

 

 そういった日々はおよそ15年ほど続いた。その土地は閉鎖的であったが、その土地柄自殺志願者が多くやってきていた。しかし飯ノ森和夫がやってきてから、自殺遂行者は急激に減少した。彼らは何かを思い出したような顔で樹海を引き返し、爽やかな顔をして去っていった。彼らがその後どうしたのかはしらない。しかし県の自殺者数もやはり減っていたのだ。これは奇妙なことだったが、自殺防止キャンペーンが功を奏したのだと報道された。そして自殺防止キャンペーンにさらなる予算が費やされたのだが、それはまた別の話だ。

 

 鬼椿製薬は精製された希望の開発は打ち切られてしまった。元の研究員は殆どが移転した。何かをすることもなかった。その薬はおしまいになった。実際、治療薬として考えてみれば何の意味もありそうになかった。副作用の欄には多幸感と書かれていたが、それがどのくらいの頻度で、どのように起こるのかについては誰にもわからなかった。初期開発者が担当部署を離れてしまった今、その薬は有望に見えるかもしれない薬剤の一つでしかなく、そんなものはあふれるほどあるのだった。

 

 飯ノ森和夫は法律上の死者と認定されてすぐ、上野公園へと引っ越した。彼は気のいい人間だったし、身なりもそれらしく、自分についてあまり語らず、求められた仕事もやり、周りに迷惑をかけない感じの良い初老の人間だった。彼はあまりしゃべらなかったし、どうにもぼーっとしているところがあったのだけど、それもまた、彼を受け入れさせる要因になったのだろう。

 

 飯ノ森和夫はいつの間にか上野公園で神様のように扱われるようになっていた。ホームレスや、それになりかけている様々な人が彼の元を訪れて悩みを吐き出した。彼は慈愛に満ち溢れた顔でそれを受け入れた。彼の性格が本質的に変質してしまったのだろうか、彼はもはや薬剤を月に一度飲むだけでその性格を維持することができた。

 

 笹原光一は死んだ親の金をたっぷり持った無職だった。21歳で、特に目的もなく生きていた。

彼にとって基本的に人生は退屈でしかなくて、薬物と暴力が気休めだった。 

彼は飯ノ森和夫のテントに入り込んで、錠剤を奪った。それは見たこともないパッケージングだった。研究段階にある薬物に思えた。テントの奥深くに大事そうに隠されていたことから、とっておきのものなのだろうと考え、彼は何錠か噛み砕いて飲んだ。

 

 特別何も来ることはなかったので、彼はいつものように酒を沢山飲んだ。眠るためにずっと飲み続けた。ウイスキーが一瓶あいた。ふわふわとした気分が中断され、それきり彼は目覚めなかった。

 

 飯ノ森和夫の聖人めいた一週間が終わり、彼は少しだけ正気に戻りかけていた。彼は真夜中まで目を覚ましておいて、物音が去ったのを確認すると、いつもの場所に手をやって、錠剤を入れた箱を確認したが、そこには何もなかった。彼は懐中電灯を使おうと思ったが、やめた。隣の人間にあれやこれや言われるのは困ったことだからだ。彼の中に耐えず不安が押し寄せてきた。その日は一睡もできなかった。彼にとって世界は終わったも同然だった。

 

 彼が希望を失って一年がたつ。半年ほど上野公園で寝込んでいた。彼は沢山の喜捨をもらえた。しかしそれもすこしずつ減ってきた。彼は擦り切れたような姿になった。どんよりとした脳みそは少しずつ異端の思想を吐き出した。彼にとって世界は完全なディストピアだった。あらゆる人間がその絶望郷に暮らしており、そうでないのは気づいていない人間だけなのだ。

 未だに彼に話しかける人がいた。彼らはひょっとしたら壁に向かってでも話しかけたかもしれない。そういう相手に飯ノ森和夫は自らの思想を喋り散らして言った。彼らはそれに頷いた。そしてその話は遠くへと口伝されていった。曖昧な話し言葉と乏しい語彙に伝搬されるので、その内容はごくありふれた妄想にしか見えないものなのだが、フリーライターの虚原弦はそれがとてつもなく変わっている事に気づいた。そして飯ノ森和夫のもとへやってきて、彼の妄想をたんたんと聞き入った。そして彼の来歴についても。

飯ノ森がいる場所と、彼の話からして、何らかの異常や妄想の類だと断ずるのはまっとうに思えた。しかしそれだけだとは思えないものがあった。アドルフ・ヒトラーの思想は異常だが、そこにはたしかに理性がある。一般的な妄想と違って、状況さえ噛み合えばそれはありえないこととは言い切れない真っ当さがある。彼はそれを記録し、安雑誌に送った。彼の記事は短く刈りこまれた上で採用された。

 それは失望だった。彼の言わんとしていることはまったく切り取られ、特異なゴシップ程度にしか扱われなかったのだから。しかしそれは予期されたことだった。彼は全てを投げ出して飯ノ森の思想を記述しようと考えた。

 

 飯ノ森の信奉者たちはあちらこちらからやってきた。信奉者は金を大したものだと思わなくなっているようだった。それは世界が終わるからとか、お金は天国にじゃまだからとかそういう利に関したものではなくて、気づいてしまった人間特有のものだった。彼らは少しずつ失っていった。可能な限りの貧しさへと落ちていったが、金をばらまく人間は減らなかった。そしてそのばらまきかたは実に自然だったので、公園の連中は満足した。何人かはそれを元手に公園から出て行った。彼らにはそれがまるきり妙な妄想に思えたのだ。勿論中にはそう思わない人間もいるのだが。

 

 飯ノ森和夫は選挙カーのだらしなく間延びした、名前を呼ぶだけの演説を聞く。彼は思い立って、そこに歩いて行く。信奉者たちは何も考えず、彼に付き従っていく。飯ノ森和夫は右手を叩く掲げ、選挙カーへ向けて振り下ろす。信奉者たちが取り囲む。よじ登って立候補者を、ウグイス嬢を、秘書を突き落としていく。一人が拡声器を奪いとり、飯ノ森に渡す。

 

 

 飯ノ森和夫の演説がはじまる。