I'm only sleeping

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忙しいけどやることがない(アドバイスの無意味さについて)

話していると、予定が詰まっているとか、仕事が大変だとか、バイトで忙しいと主張しながらやることがないという人がいて、何だか話が矛盾しているように思える。やるべきことが多いのにやることがないのだ。

 

 この点を指摘したことはないけど、もし指摘したら怒られるかそういうことじゃないと訂正されるだろう。

 

 それに続くのは趣味を見つけたいということで、運動をしてみればとか、本を勧めるとか、日常に変化をつけるべきだとか、いろいろとアドバイス(無意識にやってしまう人生で最も無意味で無価値なものの一つだ)してみるのだけど、あれやこれやと理由をつけて提案は拒絶される。

 

こういう状況で困っていると相談されることが、別々の人間から複数回あったので、一度考えてみる必要があると思った。少なくとも彼らは、俺みたいにやるべきことをなるべく減らして、一人でずっと過ごしていたいわけではないということはわかっているので、それを除外して考える。セネカが『生の短さについて』で述べた、閑居して英知(哲学)を追求することを最善の生き方とするのがしっくりくる人間は、きっとそう多くはない。

 

ひとつの可能性としてあげられるのは、やるべきこと(仕事とかバイトとか飲み会とか部活とかサークル)に時間と意志力を取られすぎていて、他のものに意志力を振り向けられないということだ。部分的な解決法はタンパク質の多い食事をするとか、沢山眠るとか、なにもしない時間を作るとかなんだけど、そういうものだって何かと理由をつけて拒否されるのだ。

 

一般的にアドバイスが受け入れられ、実行される確率を考えて見れば、そんなものはほとんどないのだから、当たり前のことだ(なにせそれは無意味で無価値なのだ)。

 

もう一つ上げられるのは、一人の時間が好きではなくて、人と関わることに喜びを感じているけど、一人の時間がさみしいということだけど、俺は一人の時間が好きだし、大勢の人と関わってもすぐに疲れてしまうので、なにか言えることはない。人と接する以上時間の調整やら連絡が必要だろうし、そういうのができるのは凄いと思う。

 

アドバイスが無意味だとしたらどうすべきなんだろうか。カウンセリングの手法だと、支持的態度とか受容的態度とか傾聴とかがある。

 

実際話を聞いてみると、本当はやりたいことがあるのだけど、何らかの理由でできないとか、時間をかけてやっていることに時間と意志をつぎ込んでいるから他に何も出来ないという場合が多くて、その場合に必要なのは、やりたいことに関するあれこれではなくて、やりたいことを既にやっているということを、その人自身の言葉を繰り返すことで、認識させることなんじゃないか。

 

何か不満がある場合がある。仕事の場合はそうだ。その状況で俺が言えることなんてほとんどない。バートランド・ラッセルはみんなが一日四時間働けば社会は回ると言っているし、俺は彼の主張の熱心な支持者なんだが、周りを見ているとそんなことは不可能に思える。なぜだ。なぜ四時間働いて残りはだらだらするのは不可能なのだ。

俺にはそれがわからないからここに答えるのはほとんど無理だ。

 

わかることは殆どないってことになった。俺は一人の時間がかなり多くても平気なんだが、そういう体質は十人に一人か二人くらいの割合で、その点だけでも他者との違いを考慮すれば、アドバイスは無意味に違いない。

ただ、不思議なのは、人が自分のやっていることに注意力をつぎ込んでいて、それは社会的にもある程度認められたり推奨されたりしていることで、にもかかわらず、やることが何も無いと思ってしまうことだ。

それを意志力の枯渇だけで考えるのは単純化のし過ぎにも思える。

見えない不満があるようにも思える。あるべきではないことに注意力を使っているとか、やっていることに虚しさを感じているのかもしれないし、外的な価値観によってしたいことやすべきことの重み付けのバランスがずれていて、そこに違和感をいだいているのかもしれない。

 

 

あれやこれやと考えるにつれて一般化は殆ど不可能だということがわかった。そこにはいろいろな原因があるし、対処法もそれぞれなんだろう。だけどどうやらそこに認知のずれがあることは間違いなくて、だからこそ人に聞いたりするのだろう。それはアドバイスを求めているように見えるし、アドバイスをして、そうしないから上手くいかないと責めるのは最も安易な方法だけど、実際に問題があるのは表層に出現したやることがなく、忙しいという現象の根底にあるズレを言語化することや、言語化していることを認識させるのが大切なんだろう。