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I'm only sleeping

日記 雑記 思いつき ついったー https://twitter.com/1dgwa

実験としての禁欲

詩人は、創造性を発揮するために韻律や文字数が制限された状況を用いる。

音階の存在、絵における色の制限もおそらくはそれと関連している。

生活における制限も似通った作用をもたらす。

創造的な生活ではないけど、ある種の典型から逃れるためにはそれに従う必要がある、という意味で。

経済学者のジョン・メイナード・ケインズは、知的影響から自由なつもりの実務屋は、たいがいどっかのトンデモ経済学者の奴隷だ、みたいなことを書いている。

 

幾つかの禁止は、効果的に働く。ドストエフスキートルストイが活躍したロシア文学の黄金時代は、検閲が緩まった時期だった。

どんなことも言えるというわけではなかった。しかしかなりの自由があり、工夫次第で逃れることもできた。強すぎる検閲のソビエトの元では、文学はほとんど目立たないものとなった。他国で読まれるような文学作品は、その時代にはソビエトでは出版されていない。

一方で行き過ぎた自由の結果をミシェル・ウエルベックは悲観的に描いている。性愛を満たせるものと、満たせないものがまずわかれる、それから性愛を満たせた人間は、その次に暴力に走る。残虐なショーを楽しむようになる。それはどんどん過激になり、最後は死をもてあそぶ。

 

それに抗うにはどうすればいいだろうか。

 

人間は、とりわけ宗教はずっとやってきていた対策がある。

禁欲だ。

しかし禁欲の歴史は、失敗の具体例ばかりだ。それに禁欲というのは、手段に過ぎない。だけどしばしば禁欲はそれ自体が誇りとなる。

 

一つのささやかな解決策がある。それは何事にも実験というベールをかぶせることだ。

実験としての禁欲、それはつまり、あるものを禁じるとどうなるかという仮説の検証として自分自身を用いることだ。

自己実験は検証の手段としては不十分だ。それ自体の信頼性は低いし、一つの変数だけを変えるようなうまい実験をするのは至難の業だ。しかし実験というベールをかぶせることで、禁欲にはない作用を付加することができる。

期間を定め、単純なルールを課すことで、日常をデザインしなおすことができる。異なった目でみることができることになるんだ。

退屈への解毒剤としては、少なくともなかなかに有効だ。

 

今試しているのは、砂糖を禁止するという実験だ。

これは別に良くできた自己実験だというわけではない。

効果を検証するためには長い時間が必要だし、砂糖を禁止すると、いろいろなことが変わる。

コンビニでは殆ど買えるものがなくなるし、外食も難しくなる。自販機も殆ど使えない。自炊が増え、歩く距離も長引く。

こんなに沢山のことが変わってしまうのだから、砂糖摂取自体の影響を理解するのは不可能だ。

それに生活を変えるのはそこだけじゃない。そういう生活をすることは少なくとも自分にとっては、健康という観点に囚われることになる(それから、砂糖にも)。

 

 

だが、沢山のことが変わるのは別に悪いことじゃない。生活という観点からすれば快くはなっている、幾分の不自由があるにせよ、食事がおいしく感じられたり、ご飯を食べるのが楽しみになったりはする。

それに禁欲自体が目的になっている場合とは違って、破ったとしてさほど罪悪感を感じることはない(というか、一週間に一度くらいそうなる。だけどそれを許可しているわけじゃなくて、あくまでも原則砂糖を禁止するってだけだ)

それと、もう一つ気付いたことがある。砂糖を守るというルールはシンプルだから、自分が守っているかどうかがわかりやすい。

一日のカロリー計算やら、一日に食べている食品の数やら、炭水化物や脂質や糖質の割合だとか、そういうあれこれを気にする必要はない。ルールが複雑になれば、それを守るのは難しい。そして日常がたくさんの規則に縛られるのは、それが自分で作ったものだとしても、あんまり良いものだとは思えない。

 

砂糖を禁じることが健康に良いのかどうかはまだわからない。自分で何かに対する情報を集める限り、どうしてもバイアスが、偏った見方がついて回る。たいていの場合、自分の好む立場で調べれば、それに有利な情報が得られる(たとえば科学的に効果がないとわかっているオナ禁について、オナ禁 効果、とかで調べてみればいい)

だけど少なくとも砂糖を減らすことに害がないことはわかっている。砂糖は炭水化物が分解されたもので、つまりご飯を食べていれば摂取できる。それに人類の大半はずっと精製された砂糖なしに生活してきた。サトウキビが取れる地域は一部の熱帯地域に限られるし、安価な価格になったのは、十九世紀も終わりになってからだ。

 

単純な規則を一定期間守ろうとすることは、生活を新しくデザインしなおすことになる。

惰性のままに、なんとなく取っていた食事や、通り道にある店や、時によっては人の話が全く違う視点から見えるようになる。

絶えず試し続けること、それはきっと退屈に抗う最良の方法なのだろう。