I'm only sleeping

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Loveless

二度と会わないであろう友人について話をする。峯岸礼二は死んだわけではない。まるで別人のように変わったわけでもない。美しい印象を持っていたのに、いつの間にかそういう魔力が消えてしまったというわけでもない。ただ、何かとても悲しい出来事があって、それは俺たちの間にあった、細くなりかけていたつながりをたち切ってしまった。それはとても微妙なもので、そもそも今まで繋がっていたのがおかしいことなのかもしれなかった。ごくごくささやかなきっかけで、それは切れてしまう。例えば飲み会をやるかやらないかで、やることを選んだから俺たちは決定的な相違に気づいてしまったし、それが後戻りできないものになったのかもしれなかった。

 

礼二とは大学の同期だった。俺は大学に入って二年目になって白血病になり、一年休学した。その時は衝撃を受けたが、大半の患者は治るようだったし、調べてみれば九割は治る病気ということだった。元々が楽天的なたちなので、その事自体は気にならなかった。俺は死ぬかもしれないとは、殆ど思っていなかったが、入院生活は退屈で、それを紛らわすために読書をする他なかった。

 

俺は一人暮らしをしていて、スーパーの帰りだった。徳用パックのコンソメ味のポテトチップスと、発泡酒ハイボールを買っていた。一人で動画を見ながら酒を飲むのが娯楽になっていた。それは幾らか悲しい出来事なのかもしれないが、一人暮らしの寂しさを埋め合わせるのにはよかったし、自分のペースで酒が飲めないと絶望的に頭が痛くなる体質もあって、ときおりそうすることは楽しみの一つだった。

 

 

スーパーからうちに帰る途中に、大きな橋を渡る必要があるのだが、その脇には小さな小屋があって、それは工事のためとかいいながら、なんとも雑に放置されていて、自然発生的に子供の遊び場になっていた。ある場所から水が吹き出ているのだ。水道が地殻の変化に巻き込まれたせいで破裂したとか言われていた。子供たちは水路をつくっていた。それを見るのはなんとなく楽しみで、なんとなく買い物帰りに立ち止まって眺めていたのだけど、その日は誰もいなくて、白い張り紙がうっすらと見えるだけだった。河川敷に降りて、その張り紙を眺めると、使用禁止とだけ赤いマジックで書かれており、水の噴き出る場所も鉄の板でむりやり抑えられていて、子供たちが作った水路は踏み荒らされていた。

 

きちんとした作りのファーコートを着た男の子が走ってきていた。メガネをかけていて、かなり痩せていた。あたりを見回して、だれもいないことに気づいて、肩を下ろしたように見えたけれど、その後すぐに鉄板を持ち上げようとしていた。だけど鉄板は全く動かなくて、走り去ってしまった。

「こんなところでなにしてるんだよ」

折りたたみ式の深いブルーの自転車に乗った礼二が声をかける。彼はぴっちりとした黒いチノパンを履いて、仕立ての良いGジャンを羽織っていた。首周りには幾つか細いネックレスをかけていた。とても目立たない、しかしはっきりと質のいいものだとわかる作りのものだった。

「そこに水が流れてただろ、それで遊び場になってたんだけどさ、なんか潰されちゃったみたいでさ、ちょっと悲しくて、見てた」

「はーん、金の無駄だろ、税金なんだしさ」

「そうなんだけどさ、ちょっと面白かったし、子どもが集まって遊んでるの見てると結構面白いじゃん」

「それ結構危ないヤツだぜ、ところで、お前その酒なに?飲み会でもするの?」

「ポテチで酒が飲みたくなっただけだよ」

「よかったら、飲む?」

俺は一人で酒が飲みたい気分だった。誰かと話したところで、本当に考えていることが口に出せることは滅多にない。あちこちに飛躍する思考を捕まえられる人は滅多にいなくて、それに俺はあっちこっち衒学的に学んできたもんだから、そのつながりは人にとっては不快で、でもそういうことを伝えるのは難しい(何度か伝えたことはあるのだけど、簡単に忘れられてしまう)。そういう内面のめんどくさいごちゃごちゃを除けば、なんだか飲んでも悪くないような気分になっていた。

「どこで飲む?」

「俺もそこのコンビニで酒とつまみ買ってくよ、なんかあんだろ」

うちにもほうれん草の凍らせたのと、塩豚、それからたまねぎと卵があった。そのへんで適当につまみを作るのはわけなかった。もともとそういうつもりでいた。

ユウキはコンビニでビールとスミノフアイスを買ってきて、俺の家で飲むことになった。

乾杯をして、酒を飲んでいるうちに、つまみをつくろうなんて気はなくなっていて、だから結局ポテトチップスをつまみにしてビールを飲むことになった。

「バイトとかねえの?」俺は礼二が全然話を切り出さないんで、何か言わなきゃいけないような感じになっていた。だけど何かその時点で、変な気がした。別に何かを口にだすわけではない感じなのは分かっているけど、半年ぶりに会ったせいなのかもしれなかった。何か少し怯えているような、失望しているような、ごくごく微妙な影が彼の顔に差していた。

「今日で終わりなんだ、バイト」

「へー、もう終わったの」

「いや、これから行くことになってる」

「飲んだらまずくね?」

「行きたくねえんだ。今日は最後の引き継ぎってか、最後のシフトだ。でも相手だって来てほしくないと思ってるし、多分来るのは中村だけだ」

中村が誰かは知らなかった。なんとなくいけ好かない扱いの中村という人間がいることは噂に聞いていたけど、それがその中村なのかはわからない。

「そうか、それでどーすんの、いったい」

「別になんもしなくてもいいよ、用事ができたってことにしとく」

礼二はそう言ってLINEで何やら打ち続けた。頻繁にメッセージが届いたことを知らせる音がてぃこてぃこと鳴る。

俺はだんだんどうでもよくなってきて、つまりユウキは俺と飲みたいと言っておきながらずっとLINEをやってたからで、それに学年が一つ違うせいでお互い碌に共通の話題もなかった。麻雀でもやれば少しは違うのかもしれないが、面子の一人が再受験で北海道の大学に入ったことも、麻雀自体やる学生が少なく、心地良く卓を囲める連中はもっと少ないのもあって、難しそうだった。部屋に転がっている漫画を開いて読みはじめていた。だらだらとした時間だがリラックスした気分にはなれなかった。何かユウキには言いたいことがあるんだとわかった。聞くべきタイミングはとっくに逃してしまった気がしたが、何か聞いてやるべきなのかとも思った。

「なあ、何があったんだ」

「いや、別になんでもねえよ」

「なんかある奴はだいたい何でもねえって言うよな」

「いや、本当になんでもねえんだって」

「そうか…」

このやりとりをもう少し続ければなにか違ったのかもしれないと俺は思った。しかし、結局のところ俺は酒を飲むペースが少し早すぎたし、彼のやり取りをもはやめんどくさいと思い始めていた。どんな会話がはじまるのか、オレの頭の中ではとっくに語られ始めていた。それはつまり、後輩が先輩のことを軽視するようになっていたということで、だけどそれは、礼二が一年の頃からあった風潮だった。彼のバイト先では若さと容姿がなによりも重視されていて、それゆえにそういうものを失った人間は辞めるしかないのだった。そして彼はもはや余裕ある生活を送れるわけでも、若さがあるわけでもなく、乱雑な生活は彼の容姿を不可逆に、ごくわずかにではあるが不快なものに、変えてしまったのだと、そういう事なのだと思った。しかしそれをどうやって認めさせるべきかはわからなかったし、所詮これらはすべて、じゃあ、いってきなよといって礼二を見送った後に俺が考えたことに過ぎない。結局、問題は別のところにあったのかもしれない。俺が考えたのは一つの突飛な可能性なのかもしれない。

 

それ以降、礼二は姿を消した。大学で見かけることはなくなった。学年でキャンパスが違うという理由だけではないと思う。もしも俺があの時考えたことを話していればどうなったのかを考えることはある。何かは変わったかもしれないが、それは良い方に変わる可能性は薄かっただろう。しかし俺は一人の友人を、永久に失ってしまったのだ。ごくわずかだが、徹底的な相違をお互いがお互いのうちに認めてしまうことによって。そして俺はそれを変えることができる可能性を避けたのだった。何やかにやと言い訳しようが、俺にはそれがわかっていた。

 

時々LINEの画面を眺め、彼にメッセージを送ろうかと思う。しかしなんと送っていいかもわからないし、そんなことをしても仕方ない気がした。多分あの時に、全ては終わってしまったのだと思う。しかしいくらそう考えても、流すことはできない。それは記憶のひだにしっかりと痕跡を残してしまったのだ。