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I'm only sleeping

日記 雑記 思いつき ついったー https://twitter.com/1dgwa

書くことと走ること

小説を書くたびに何枚か書くとすげー頭痛くなって虚脱状態になる。長いときは原稿用紙三十枚、平均すると五枚から十枚くらいなんだが、自転車旅してる間はポメラも壊れたしまともに文章書いてられなくてここ数日は三枚書くだけでぼーっとしてしまう。砂糖のたっぷり入ったコーヒーとか、コーラを飲んでいれば幾らかましになるんだと思うが、台風のせいで低気圧でやる気がでないしどうしようもない。何本か短編を書きだしたのだが途中で飽きて疲れてだるくなって投げてしまう。おそらく書くことに関する体力の不足が原因なのだと思う。

 

文章を一気に書くと書けなくなるのは自分が走ろうとしてうまくいかないのは似ている。長く走ろうとしても途中で歩いてしまうのだ。

長く走るためにはペースを一定に保つ必要があるのだけど、そのためにはゆっくりにする必要がある。遅くしたり早くしたりすると疲れるし、長く走るのも難しくなる。だけれども焦りから、必死で早く走ろうとしていた。その結果、途中から散歩に変わってしまう。

自転車旅を二週間していたからか、体力がついていて、久しぶりに走ったときにうまくテンポを落とすことができるようになっていた。息が上がってもとりあえず走るという行為を続けるのが簡単になっていた。書くことにもひょっとしたら体力があって、そのためには最高速で書き続けるよりも、少しペースを落として長く書いたほうが分量を稼げるのかもしれない。沢山書けるようになるためには多分沢山書くのが一番の方法だと思うのだけど、プロットとか登場人物とかそういうのをあらかじめ考えておけば少し楽になるのかもしれない。それから意図的に書くペースを落としてみるとか。

俺の集中力はとても短期的なもので、長続きさせるためにはルーチン化するしかない。

何かの学習に用いることはできる。文章の要約や、重要箇所の抜き出しも可能だ。

 

しかし文章を書く、ということに関してはそこまで単純ではない。そして文章を書くことをルーチン化させるべきなのかという疑問もある。時折そういう小説を読むことがあるけれど、そうである仕組みが見えてしまっているものに対して魅力を感じることが少ないからだ。しかしその仕組みを見せないための手続きは書きなおしてからでも可能なのかもしれない。

だとすれば文章を書くことをルーチン化するための一連の手続きが必要になる。それはおそらくひたすら書き続けることでも学べることなのだろう。しかし意識的にやってみるのも悪くはないだろう。幾つかの方法がある。

今やっているのは最も原始的な方法だ。パソコンに向かって、何も決めずにイメージだけを持って文章を書くのだ。これはルーチン化には遠い。だからそれに至るための方法を考えてみる。

1.プロットや登場人物の設定を予め決めて、それに従って文章を書く。

この方法はなんとなく苦手意識があって、実際に試してみたことはあまりない。書いている間にプロットからの逸脱は酷いものになるし、登場人物だって設定したように動くわけではない。解釈の余地があるほどよくて、だとすれば短くて曖昧なものになる。しかしそのほうがよいのかもしれない。

2.書くペースを遅くする。

文章を書くときに迷うことはあまりなくて、一気にダダダダダッと書いてしまうのだけど、それによって体力がなくなっているのかもしれない。ペースを遅くすることで、もしくは疲れたときにペースを緩めることで長く書き続けることが可能になるのかもしれない。

3.プロットからはじめて、それを肉付けする過程を繰り返す。

最低限の骨組みをまず考えて、それを肉付けしたプロットを書く。そしてそれをさらに肉付けして…と繰り返していく。たしかこの方法で執筆している作家がいた。

 

幾つか方法論はあるのかもしれないけど、短編小説は一日で書くもので、推敲に時間をかけるのだと村上春樹は書いていたしそういう点で考えれば今回真っ先に試してみるのは2で、だから意外性も何もないんだけど…。