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I'm only sleeping

日記 雑記 思いつき ついったー https://twitter.com/1dgwa

引き伸ばされた終焉

賢者は歴史から学ぶというけど、自分が賢者だと思っている人間ほど手に負えない者はない。だとすれば結局、経験以外からは学ぶことはできないのであり、経験から学ぶためには失敗する他ない。だとすれば人生のはじまりの数年間を、簡易化された仮想現実でシミュレートしておくことは無駄にはならないはずだった。しかし仮想現実が仮想現実だとわかってしまえば人は学ばないかもしれない。

 

仮想現実で何回も死ぬことによって賢明な人間になることができる。勿論単純な生ではない。時間が均一に流れることはない。死の間際は引き伸ばされ、永遠に感じられる自問自答が、全ての感覚器官がゆっくりと死滅していくなか続けられる。それは密室での三年間に及ぶ長さだ。

 

そのような死を10回程度くぐりぬけた人間は、後悔をしない方法を知っている。最高の快楽を知りながら(仮想現実では最強の快楽物質は現実より容易に手に入る)それに手を出すことの愚かさを知っている(次の人生では薬物は抜けきっているから、依存を引き起こすこともない)

 

彼らが求めるのは安寧でも幸福でもない。それを得ることの失敗を知っている。それに拘泥することでどのような人生を送ったか、彼らの記憶には深く刻まれている。

 

しかし大抵の人間は繰り返される死には耐えられない。その記憶自体が心的外傷となる。それを癒す術を持たない。人生は繰り返されるが、それはあくまでも自分の人生だけだからだ。他者は一度死んだきりだ。自分だけの世界がなんども作り直されるのだ。

 

シミュレーション世代にとってみれば、試行錯誤はすでに済んでいたはずだった。仮説も検証も思索も論証も十分やりつくしたはずだった。しかし人は同じように間違えてしまう。望みのない相手を求め、得られない力を求める。幻想にすがりつき、偽物の希望を捨て去ろうとしない。

 

われわれの大多数には物事を学ぶ能力はなく、まるで内面などないかのようにふるまっている。

それが結論だった。しかし連中はそれを信じなかった。膨大な金額を投じてわかったのは、我々の可能性ではなかったのだ。我々の多くは人生を繰り返してもあまり多くのことを学べない。場当たり的な経験則はひどく間違っていたりする。感情の強さに対処する術を持たない。

 

結局、外的なコントロールシステムを導入することが合理性を高める唯一の策だった。しかし我々のうちだれも、合理性の果てを見据える想像力を持たなかった。

 

 

延々と引き伸ばされていく時間の中で断種処置をとられた我々は仮想現実に逃げこみ、最後の日々をゆっくりと過ごす。最後の思索の時、耄碌した頭に天使が降りて答えを囁いてくれることを祈りながら。