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I'm only sleeping

日記 雑記 思いつき ついったー https://twitter.com/1dgwa

日記

天気が良かったので散歩することにした。最近わりとしっかり筋トレをしている。上半身と下半身を別々の日にやるといい(というかある部位の筋トレは二日あけないと意味が無いらしい)ので、今日は上半身の日にしようと思ってリバース・プッシュアップをやったら数回で腕がつった。ふつうの腕立て伏せはずっとやっていたから大丈夫だと思ったのだが。

 

授業でモルヒネとかコカインの話が出た。

筋トレを終えて少し散歩がしたい気分だったから、萩原朔太郎猫町を持って出かける。たいしてあるきまわることもなく、川沿いのベンチでずっと本を読んでいた。彼は詩人で、猫町の冒頭に主人公がモルヒネやらコカインで酩酊してトリップするのが好きだと書いてあって、おお、シンクロニシティとなる。猫町は、歩きまわっていると突然猫が人間のように暮らしている街に出くわすが、ふっと消えてしまうという話なのだが、本当にそんな感じがした。猫町にいると気づいたときには元の現実に戻っていた。読書体験がまるきり描かれた情景と一致するのだ。

 

冒頭に書かれた引用文の終わりが

ショウペンハウエル。

なのは時代の先を見ていたのだと思う。かわいらしい。

 

散歩が好きだというエッセイが入っているのだけど、散歩が好きだという部分はあっさり書かれているに過ぎなかった。もっとずっと散歩について語っていたと思ったのだけど。

 

詩には何かこう妙な憧憬というか、いつかきちんと読まなくてはみたいな強迫観念があり、まあだからといって別に読むわけでもないから、脅迫されてるわけでもないのだけど。

高校時代にずっと詩のようなものを書いていた。クラスには現代詩手帖に投稿してる奴がいて、お前の書いているものは詩ではないとか言われた。

 

現代詩選集のシュール詩が傑作だと彼は言っていて、俺もちゃんとそういうのを読んで詩を勉強しなくてはと思うのだけど、結局それは図書館では見つからないし、全く別の現代詩選集(一番新しいのがプロレタリア詩だったあたり、お察しである)もぱらぱらめくるのがせいぜいである。

詩のイデアみたいなものがあって、多分俺には小説のイデアもあって、だからまあ詩やら小説を読むたびに、そんなふうに書いてもいいのかと驚くし、しっかりと胸のうちに、小説をかくうえでのただひとつのルールは、ルールなどないことなのだ、ということを刻んでおく必要があるし、萩原朔太郎の詩は詩らしさが全然なくて、悪くないなあって思った。

 

正当な小説やら正当な詩とかいうのがもしあったとしても、俺は勉強の為にそれを読むのだろうし、勉強が楽しいことなどめったにないのだから、めいっぱいの退屈を抱え込む羽目になるだろう。

 

江波光則の小説を読んだ時もライトノベルでこんなのありなのかよって感じがした。

 

そういうことばっかりだ。

イデアはどこかに出来上がって、なぜかそれに合わせなきゃいけないような気がするんだ。だけど俺はそうするのが一番苦手で…。

 

 

多分あらゆるものに関して、類型は簡単に出来上がる。出来上がるたびに崩していかなくちゃいけない。

 

積み重なった類型のことを退屈と呼ぶのかもしれないからね。