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I'm only sleeping

日記 雑記 思いつき ついったー https://twitter.com/1dgwa

生活の単調さ

日記

生活が単調になっていくのを感じる。ある程度は仕方ないにしても、同じwebサイトを見て、おなじような筋書きの漫画を読む。そして同じ音楽を聞く。同じ帰り道で、いつもと同じ店に寄る。

 

それが習慣になるのはまずい。退屈は精神を蝕んでいく。どんよりとした気分が底に溜まるようになる。

退屈を紛らわすためにインターネットで見つけるコンテンツはなぜかいつの間にか似たようなものばかりになる。Webの多様性とはなんだったのか。

 

引き篭っていたときに退屈を感じなかった理由は単純で、集中力が有り余っていたからだ。だから気が向くままに好きなことをやることができた。もちろん幾らか不毛な物事に時間を費やすことだってあったのだけど、それはときどきのことにすぎない。

 

退屈と慢性的な疲労状態は似通っている。

新しい物事をはじめようとしても、それをするだけの集中力は残っていない。だから馴染んだ、頭も身体もあまり使わないコンテンツを楽しむ。だけどそういうものは、頭も身体も使わないのだから、バリエーションは限られている。

 

少ない集中力をかき集めて、精一杯頭を使って虚脱状態に至った場合、特に退屈は感じない。とはいえ退屈は疲労にまぎれて忍び込む。時々確認してやる必要がある。惰性で物事をやっていないかということを。

 

無駄な娯楽の時間を切り捨てるというのはどうなのだろうか。俺はテレビを観る習慣を持っていないが、その時間はしっかりインターネットに奪われている。別に全てのインターネットが無駄だというわけではないが、いわゆる密度の濃い情報に手がのびることはそんなに多くない。咀嚼されわかりやすく味付けされた記事を読みあさるだけだ。自分の考えを根底から揺さぶるような出来事や、ハッとするような考察に出会うのは難しい。

そういえば、以前クセノポンのラケダイモン人の国制をネットで読んだときはひどく疲れたっけか。俺は未だに本を読むようにネット上の記事を読めない。

 

 

もしもこういった無駄な時間をすべて削り、密度の濃い読書や、文章を書くことに時間を費やせたらどれだけ生産的になれるか、ということを考える。だが思い返すに、そううまく行くものではない。頭をリセットするために運動やら、瞑想やらをしてみるべきなのかもしれないが、俺は安易な娯楽を求める。そこにはやはり何かしら必要なものがあるのだろうか。何かしら意味のある行為なのだろうか。