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I'm only sleeping

日記 雑記 思いつき ついったー https://twitter.com/1dgwa

日の名残りを読んだ

カズオ・イシグロ日の名残り』の感想文なんだけどしょっぱなからネタバレだらけだ。

 

俺はこの本をディビッド・ロッジ『小説の技巧』で信頼できない語り手を扱った章で知った。
はじめからネタバレされていたようなものだ。
帯ではこんなふうに評されている。
「人生の終りに近づいた謹厳な老執事が初めての一人旅で回想する古き良き時代のイギリス、執事であった父親の威厳にみちた姿、女中頭に抱いた淡い恋、献身的に使えたダーリントン卿のこと。ノスタルジーと諦観が美しい田園風景に溶け込み、静かな感動を引き起こす。現代イギリスを代表する日系人作家の話題作」

実際に注意深く読んでみれば、ここに書かれている内容は、あくまで"間違っていない"ことにすぎないとわかる。
主人公である生真面目な執事、スティーブンスはどうしようもなく間違った人間だ。自分の誤りを認めようとはしない。

その例を一つ。ディビッド・ロッジは女中への感情について書いているから、別のものにしよう。
彼は父親のことを、品格を持っていた人間だとして追想する。だが父が老いて頑固になることで距離を置くようになる。そして父の臨終が近づいたことを聞いても、彼は職務へと専念する…それを品格だと、誇りに思って。
スティーブンスは自らに忍び寄っている老いを認めようとはしない。
父が倒れた時、その原因をあくまで階段が傾いていたせいにしたように、彼も仕事で失敗が続く理由を、人員が足りないからだと考えるようにする。
彼のそうした面はあちこちに見られる。女中頭への恋にしても、ダーリントン卿に対する忠節についても…。
大げさな主語で物事を語る。執事としての義務、執事の品格、正しいあり方…。逃げ場所を作るためだ。
自分というものから目を逸らす。
女中頭への恋心に気づいたのは老いてから旅をして、女中頭と再開し、ありえたかもしれない未来について語られてからだ。
しかし老いて、もうなにかを出来る事があまりないことに気づいて、それでも前を向いて生きて行けなければならない、なんてのはあんまりにもひどいジョークじゃないか?
十字架にかけられた男が、人生の明るい面を見ようと歌うみたいに。
この小説は残酷な小説だ。僕がすれっからしの読み方をしたからなのかもしれない。
ひょっとしたら…ボヴァリー夫人が悲劇的なラブロマンスとして読めるように、感動のストーリーとして読めるのかもしれない。
確かにカタルシスはある。最後に海辺の町で60過ぎの元執事に自分の過ちを告白するときなんかは…。
だけど彼の人生がどう推移していくのか、自分を見つめる機会がやってきたときはあまりにも遅すぎる。前向きになったスティーブンスは新しいアメリカ人のためのジョークを磨いていこうとする。
いやらしいのは、これがいくらか退屈な文章とはいえ(それはこの執事、ミスター・スティーブンスが書くという体裁を保つ上では必要なものだ)美しい場面があり、なんともいえない爽やかさがあるのだ。


読んでいて頭に浮かんだエピソードがある。チクセントミハイのフロー体験入門に出てくる老いた男の話だ。
彼はポロというゲームだけを人生の楽しみとして生きてきた。
チクセントミハイの本を読んで、70を過ぎて初めて人生の楽しみが他にあることに気づいた。
これはまだ救いのある話だ。チクセントミハイは幾らか遅すぎたとは言っているが、見つけたのは楽しみだ。
だけど日の名残りは違う。スティーブンスが見つけたのはひょっとしたらもう見ないほうがよかったものなのかもしれない。
もしもぶつからないですむなら最後まで脇目もふらずに進んでいったほうがよかったのかもしれない。

だけどそれは、無知は幸せそうだってのと同じ議論だ。結局それを避けることはできない…。
いつかぶつかってしまう出来事なら、早いほうがいいのかもしれない。
凝り固まってしまってから決定的な破綻に気づくのは悲劇だ。
もしも彼が20歳、30歳だったのなら話は全く違ってくる。それは成長の話になる。
自分自身から目を逸らしていたが、そこに冷徹な目を向けることができるようになり…。
だけど彼の場合はそこから逃げよう、逃げようとしてついにはぶつかってしまったのだ。
もしもこの旅をしなければどうなっていたのだろう。彼は無事執事として勤め上げることができただろうか。
そんなことはない。破綻の予兆はある。彼は父を繰り返すだろう。過ちを認めながら、その原因を外に向けるだろう。
そうして最後に自分自身が父を繰り返していることに思い至るだろう。それも一つの悲劇だ。
だから早く救われたといえるのかもしれない。過去を振り返っても仕方がない、前を向いていることだ、本当にそうなのかもしれない。
それは痛々しい選択だ。いくらかおろかで、馬鹿げている。黒い笑いを誘うような話だ。だけどきっとそうなんだ。
そしてそのためにできることだって、せいぜい本腰いれてジョークの勉強をすることくらいしかないのだ。
それがどんなに苦手で、新しく学ぶのが絶望的だったとしても。