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I'm only sleeping

日記 雑記 思いつき ついったー https://twitter.com/1dgwa

過去、但しプラスチックの

記憶が消し飛んだ。俺に過去はない。それは思い出そうとすることすら出来ないものだ。そもそも俺にはそういう欲望がない。

失われたものがあれば取り戻そうとするはずだろう。しかし俺に失われたものはない。はじめから無かったのだ。

しかしそれでは社会生活を送るのに不便だというのでプラスチック製の記憶が僕の頭には埋め込まれた。

それは過去で、質感はいかにもニセモノだ。

それは文章と写真でできている。脳に埋め込まれた自分だけが参照できるウェブサイトのようなものだ。

過去をキーワードで検索すればそれらしい記憶が出てくる。

それは過去の俺が記録することに取り憑かれていたからだ。

過去の俺は特別な眼鏡をかけていた。あらゆる視覚情報を記録し分析する機能を持つものだ。

それは脳と時々接続して、お気に入りの記録は何度も見返されることになったらしい。

 

そんな過去の自分は全く違う人間に思える。俺は記憶に興味がない。以前の俺のお気に入りの思い出を幾つか見てみようと思ったが、さっぱりわからないのだ。

俺にはそれが思い出されていた理由がわからない。

即興のジョークの面白さを味わうことはできない。

人の飲み会を外から一人で観察したいと思うだろうか?

俺は違う人間になったらしい。おそらくそうだろう。

大学では別人のようになったと言われる。実際そのとおりなのだろう。

以前の俺は人と良く会っていたらしい。しかし今はまったくそうならない。

一人でいるのが心地良い。暗黙の記憶を言葉にさせるのが辛いのだ。

プラスチックの過去は冷たい。そこに質感はない。文字と写真だけの記録だ。そこに芸術はない。

話をする人間は皆驚く。俺が過去に感心を持つだろうと考えるのだ。

しかし過去というのはしばしば語られないのだ。思い出と称する過去はほとんどがその質感を除けば意味のないものなのだ。

 

俺は三年前にクロサキレイカと別れた。それはとても辛い記憶だったらしい。俺の日記を読むことができる。しかし俺にはその辛さがわからないのだ。俺が辛かったのだろうと推察することはできるが、そこにはいかなる感情のゆらめきも見いだせないのだ。

 

人は俺の中に以前の俺を見出そうとする。そして別人になってしまったと失望する。俺は以前の俺を演じてみるべきなのだろうか?

そうすれば俺の質感の喪失はますます際立つだろう。

 

人は俺らしさというものをうまく言葉にすることはできない。

もっと温かみがあったとか、優しかったとか、無邪気だったとか言うが、それが俺自身なのかはわからないし、曖昧に過ぎる。そういう言葉に従って組み立てるのは意味が無いのだと思う。結局以前の俺の内面は、俺にしか思い出せないのだ。

 

殆ど人と会うことはなくなったがソノギケイとはときどき話す。

彼は俺に興味を持っている。つまり記憶が消え去った以降の俺だ。

彼にあるのは興味だけで、同情も、以前の俺らしさへの期待もない。

それが心地よい。取り残された気分になることはない。