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I'm only sleeping

日記 雑記 思いつき ついったー https://twitter.com/1dgwa

日記

日記

ステーキ屋でブライアン・マギーの哲学史を友達が見せてきて俺はカール・ポパーとか?と聞いた。そうして開いたページはちょうどポパーで、今日散歩しながら吸い込まれていった図書館で読んだタレブの本によればブライアン・マギーはカール・ポパーの弟子なのだという。

それがちらり目に入ったのだけど意識にのぼらなかったということなのだろうか。

それともただの偶然?

以前どこかで読んだけど今までそれをさっぱり忘れているとか?

 

どれもありそうだ。

 

ゾンビについて考える。意識することのできない自分自身の動きや認識。例えばよくある目の錯覚の図がある。両脇に矢印のついた棒が二つ。一つは内向きでもうひとつは外向き。それは両方とも同じ長さだが、長さが異なるように見える。しかし摘もうとすると指はその実際の長さに対応して広がる。目には相変わらず異なって見えるのに。他の錯覚の図でもそうなる。

 

それから盲視という現象。視覚を失っているがポストに封筒を入れたり、書かれた言葉(例えば、右手を上げろ)に従って行動することができるが、なぜそうしたのかはわからない。

 

意識できない領域について考える。

それはどれくらい大きな部分を占めているのか。

スーザン・ブラックモアは自由意志は無いと考えていて、そういうものから自由になったほうが人生を楽しむことができると主張する。

 

意識すること、意図することはどうにもぎこちなさを生み出すような気がする。自分が意識しない部分が優れた仕事をやってのけるような気がするんだ。勿論いつもそうってわけじゃなくて、しっかりと意識して操縦してやらなければならない部分もあるのだけど…そういう意味ではなくて。

 

シンクロニシティはとんだお笑い種だが、そういうものを見出したがる仕組みは確かに存在する。偶然の一致にパターンを見つけたがる。

 

それは不思議なことじゃない。そこから意味を取り出す段になってからの、著者の主張にはまるきり納得できないのだけど。

 

civilization4をずっとやっていた。それこそサルみたいに熱中した。シミュレーションゲームはどうしてもそうなる。傑作で中毒から抜け出す為の自助団体まであるものならなおさらだ。

しかしそこで出てきた指導者たちの名前がモンテーニュのエセーで繰り返しでてくるんだ。なんだかどうしても気になってしまう。

 

大まかな世界史の流れは知っているけどマクニールの世界史は人物というよりはテクノロジーや文化に関する説明が主だった。教科書の記述は短すぎて、その人物が何をしたのか程度はわかったとしても(それだってわかるわけじゃないが)印象深く姿を刻み付けることは出来ない。

 

知りたいことは山ほどある。ジャンクを避けられそうなものから近づいていくのは良いやり方なのだと思う。古い本を片手にどこか遠くに出かけるのも良いのだけど、どうしたものかな。