読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

I'm only sleeping

日記 雑記 思いつき ついったー https://twitter.com/1dgwa

静けさの街

短編小説

その街は盆地にあって、閉じている。高速道路はここで行き止まりになるし、鉄道は走っていない。登山列車のようなものを走らせる必要があるのだけど、この街にはそれを走らせるほどの特別な何かがあるわけではないのだ。名物はある。だけどそれは人を呼ぶほど特殊なものではない。この街の人が最も集まるのは、中心部から少し離れたところにあるショッピングモールで、おおむねチェーン店が好まれる。何軒か山の水を使った美味しい蕎麦屋があり、何軒か少し毛色の変わった塩ラーメン屋があって、どちらも繁盛しているけど、そのためにこの街まで車を飛ばすのは割りに合わない。勿論あなたが絶妙な具合に少しだけ変わったものをみたいのなら、別の話だけれど。

 どんな学者もこの街がなぜこんなふうに発展しているのかを正しく説明することはできなかった。せいぜい、街にインフラがきっちりと整備されるのが早かったとか、昔あった鉱山による賑わいの名残だとか、いくらでも反例を挙げることのできるような説明をするのがせいぜいだった。この街の歴史について語るのは、僕の好むところじゃないし、実際街の歴史を図書館で読むことができるけど、十分もしないうちに眠くなってしまう代物だ。

 

 その街で彼女は二階建ての家に住んでいた。兄が一人、自分の部屋があって、そこから小さな庭が見える。花壇があり、派手な花が咲いている。好みではなかった。良く窓から眺めた。暇を紛らわすものはそれくらいしかなかったのだ。夜になると彼女は計画を立てる。どこを経由して、どこに泊まり、どうやって仕事を探し、暮らしていくのか。だけど最寄りの駅まで100km以上ある。ヒッチハイクなんて考えられなかった。そういう方法を知らなかったのだ。親指を立てればトラックの運転手が私を乗せるなんて馬鹿げている。だからきっと秘密の暗号が必要なのだ、そんなことを彼女は考えた。夜の街を歩いてみたいと思った。玄関は大げさで、いやらしい開閉音がする。修理されることはなくて、父も母も彼女のそういう敏感さに当惑していた。彼らは別にその音はちょっと軋むくらいにしか感じなかったし、昔から彼女にはそういう敏感さを無視するよう言ったものだ。彼女はできなかった。抑えつければ抑えつけるほど、耐え難いものになっていった。

素敵な旅人は現れなかった。トラック運転手の暗号を捉えることもなかった。勿論街の秘密に気づくこともない。高校を出て事務員になった。書類を埋めていく仕事だ。会社は静かで、ビルの3階から5階だった。この街で一番高いビルから見える景色は、この街だけだった。不満ばかりだったが、それは彼女のもともとの気質に由来するもので、環境がそうさせた、なんてことは考えもしなかった。羽目を外すこともなかった。

ときどきひょっこり顔を出す耐え難さを、抑える術を身につけたと思っていた。子供っぽい冒険を夢想することもあったけれど、どこも変わらないと周りの人が言うのを聞いてそうだと思うことにした。

彼女は恋人をつくらなかった。彼氏と呼ぶ人はいたけれど、強く惹きつけられているわけではなかった。強く惹きつけられているのは相手の方で、それでまとまっているところだった。周りがはしゃいでいるときにも、うまく噛みあわせることができなかった。どこかへ逃げ出すことを考えていた。

本を読むのは好きではなかったが、カフカの寓話はときどき読み返した。急使の話がお気に入りだった。街から城へは無限の距離があり、城門から庭へは無限の距離があり、それを超えても王宮までは無限の距離が…。そういう入れ子構造のおはなしは、彼女の心にかっちりとはまるところがあった。

23歳の雪の日に彼女ははじめて街の外に出る。地図帳の上では市は変わっていないけど、街は外れて、山を下った。彼氏がドライブに誘ったのだ。

すっとするような雲に覆われていて、ゆっくりと雪が降り注いでいた。

麓にあるラーメン屋で醤油ラーメンを食べた。そこが最近評判になっていたのだ。特別な特徴は感じなかった。ラーメンが好きではなかった。食べ残した。彼は不思議そうな顔で見つめた。お腹がいっぱいなの、とだけ答えた。もう少し遠くに行かない?と彼女は言った。明日仕事が早いからな、と返して街に戻った。

その後も何度か街の外へ行き、でも隣町に行くことはなかった。点在する店に寄ることはあったし、夜景がきれいだと評判な峠に車で連れていかれたこともある。だけど街には辿りつかなかった。

仕事をし、家に帰り、ときどき友達や恋人と会っていても、外の街の話題がでることはなかった。テレビは他の街や他の国のことを映していたけど、それが何かちがうものだとは思えなかった。日常の延長にあるもので、だからこそ興味をもつことはなかった。

この街は死んでいるけど、死んだことを知らないのだ、と彼女は確信を抱く。どこへ持っていけばいいのかわからない確信だった。そ彼女の心に絡みついて離れなかった。ふとした空気の渦も、奇妙に古びた音も、毎日かわされるとりとめのない会話も、そうだからなのだ、と示しているように思えた。喋りたい気持ちが日に日に強くなっていった。多分誰に言ってもぽかんとするだろうと思った。思いつきを試す方法をあれこれ夢想した。いずれにせよ、街の外へ出ることが必要なように思えた。

 だけど…もしもこれが本当だったとして、それを知ったらみんなはどうなるのだろう。全てが灰になってしまうかもしれない。だからこれは口にしちゃいけないし、確かめようとしてもいけないのだ、と結論し、なるべく忘れようと考えて眠った。

 

 夜を歩いていた。くらやみを、町外れに向かっていた。

 

気づいたら駅に着いていたの、と彼女は僕に語った。彼女が覚えているのは暗闇だけ。歩いてきた証拠は、足の痛みと剥けた皮膚。

それからは僕の住んでいる町で以前やっていたような仕事をしている。街に戻りましたか、と聞くと、何度か帰りました。両親は不思議がっていました。仕事は休職扱いになっていましたが、それを期にやめることにしました。街が死んだというのは、空想だったんだと思います。多分私が辛かったからです。ただ、他のやり方がみつからなかったから続けていたんです。外があるなんてわからなかった。それにしても、と彼女は僕に語りかける。この街はなんだか音がちゃんと聞こえるんです。どの街も変わらないのかもしれないと私は思い込んでいましたが、そこは確かに違うところです。