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I'm only sleeping

日記 雑記 思いつき ついったー https://twitter.com/1dgwa

散歩

日記

散歩していたらやたらとタイヤ屋が目についた。あんまり嬉しい光景じゃないが、群馬への国道を走っていたときにまともに営業してたのが墓石屋だけってのよりは幾分かマシだ。その国道沿いではパチンコ屋さえも廃墟になっていた。

 

近所の結婚式場の教会がやけにハリボテめいてみえたのはどうしてだろう。階段さえも階段の絵であるようにみえた。

裏通りらしき場所でタバコ屋のばあさんが和室で毛布をかぶってけだるそうに座っていたのはなんだか良くて、友達の一人を思い出しこんな年の取り方をするのかなと思う。

その通りでは、木の芽があちこちでアスファルトを突き破っていた。

それから線路沿いに小さな小屋があった。人が一人入ったらいっぱいになる木製の、窓付きの物置と言ったほうが適切と思えるものだ。一体あれはなんのためにあるのだろう。閑職の人間が毎日毎日そこで電車を見張っている姿を想像したが、実際は信号機なんかが故障したときのためにあるんだろうな。ぐるぐると歩きまわるにはあまり向かない町だと思っているが、実際はどうなんだろうか。他の町、ふらふらと歩きまわっても飽きないような場所はあるんだろうか、そんな町に住みたいと思った。別に人口が多いとか、そういうことが原因ではないのだろう。

萩原朔太郎は町を歩くのが好きだと書いていた。駐車場のへりに何時間でも座っていられると書いていた。僕もそんなふうにしていたいと思う。なんとなく彼の歩いていた町として想像したのは、内田百間が住んでいた町で、戦前の東京だ。黒澤明の「まあだだよ」で描かれた光景。低い木製の家が立ち並んで、碁盤状ではなく無秩序に広がった規則性のない通り道(そういえばシムシティでは、街にわざと無意味な行き止まりをつくることによって渋滞が解消できるかもと書いていた。実際にはどうなんだろう)

勿論そんな光景を期待するのは無理というもので、コンクリートの町に出来合いのチェーン店や無個性なビル群が立っている。

どこに回っても緑がないのには辟易する。国道が強引にまっすぐ走っていて、そいつが似たような光景を引き連れてくる。そうじゃない場所を探してみたいと思ったのだけど。

色川武大の短編選集を持っていった。なんだか彼は似たようなモチーフをなんども使うのだなとか、描写って何なんだろうなあとか考えていて、っていうのも彼の文体は全然小説らしくなくって、語りなんだ。描写はない。なくても小説として成立するのだな。読む場所を探していて、珍しく天気が好転していたし、良いこともあるなと思っていたのだが、ようやくベンチを見つけた場所は橋の下にある誰が遊ぶんだよって陰気な公園で、コンクリート製のベンチで尻が冷たくなった。

 

二年ほど前に海沿いのほうに歩いて行くとピンク映画感や釣具屋があって、夕方に釣具屋で丸椅子に座りながら何人かのおっさんがビールを飲んでいた。僕は飲み物が欲しかったがそこではビールしか売っていなかったと思う。それからさらに歩いて行くと、少し高台に登ったのかな、博物館みたいな場所があって、やけに静かで何組かのカップルがいて凄く場違いな感じがしてさっさと帰ってしまった。たしか閉館していたと思う。

そこに避難する話をむかし思いついた。哀しみか何かが雨のように降ってくる。主人公とその幼なじみはお金がないので家にそれを完全に防ぐシェルターがない。だから親がいる間はだまってそれを耐えしのいでいたんだけど、その日はシェルターのある山の上の博物館に行くことにする。哀しみが降り注いで町が沈むときも、高台にあるそこは被害から逃れることができる。待ち合わせ場所に彼女はこない。それであたふたしながら哀しみの海に潜って彼女の家まで行く。

その後は覚えてないや、書かなかったんだと思うけど。

昔読んだ2chのスレッドに色が無くなっていく世界を描いた短編AAがあって、なんだかむちゃくちゃになっていく光景が理解出来ないながらもなんとなく好き、でもすこし頷きかねるところがあって、あれはいったいどこに行ったんだろうな。それがどんな話かをなんとなしに思い出せるけど、どうやってみつけたらいいかわからないんだ。