自信
大変な苦労をして手に入れたものの価値を正確に測ることは難しい。たいていは過剰に評価するものだ。でも、その過剰な評価こそが評価の本質という面があるし、それは意味のある結束や忠誠心を生み出すものだ。
だからややこしいのだ。本当のところを把握することはある程度、魔法をとくことにつながる。
プラセボもそうだ。意味のない薬でも効果を信じて飲めば結構効果があるんだけど、それが効かないということを知ってしまってから、もう一度自分を騙すことはとても難しいのだ。
皮肉な結論が生まれた。
自信をつけるには見返りの少ない努力をする必要があるんじゃないかってことだ。もちろんそうする必要がない場合もあって、根拠なんて無い自信の場合だ。
自信を身につける場合には、得意なことを精一杯伸ばすってふうにはいかないんじゃないかと思った。
努力で身につけた自信は一種不自然なもので、行動を狭めてしまうのだと思う。
むしろ自分が得意だったことに気づくことが大切なのかもしれないんだ。